練塀町の路地2

図1の写真でカメラに向かって歩いてくる女の子は,中野仁史さんのお姉様で当時2歳です。カメラは,中野電気商会の前の路地を北方向(図2)に向いています。

左側に見えるオートバイは,ホンダ・スーパーカブC100です。その後ろに写っている軽三輪車は,昭和34年に発売された初代のマツダ・K360で,中野電気商会が電気工事業に使用していたものです。当時はまだ取り締まりが甘かったようで,道路を軽自動車の駐車場代りに使用しても大丈夫でした。右側の木村自動車興業株式会社(自動車用品販売業)の前に停まっている車は,プリンス自動車と推測されます。

当時の軽自動車やオートバイは2サイクルエンジン(現在は4サイクルエンジン)で,燃料に混合油を使っていました。写真には写っていませんが,中野歯科医院の向かいに木造の油屋があって,そこから混合油を購入していました。また,普通自動車( 4サイクルエンジン)の燃料は,昭和通りのガソリンスタンドから購入していました。そのガソリンスタンドは,現在ラウンドクロス秋葉原 になっていて,一階にはKINKO’S,上層階には主に教育関係のテナント(河合塾マナビス秋葉原校,東京個別指導学院秋葉原教室,新美の秋葉原校など)が入っています。

https://www.kawai-juku.ac.jp/school/scl-top.php?ks=995&displayType=2

図1の写真左上には,銭湯の煙突が見えます。昭和30年代までの家は,銭湯に行く前提で風呂がないのが一般的でした。銭湯は,写真上の位置から推定すると,その後近畿日本ツーリストになり,現在は加賀電子になっている場所付近にあったと思われます。

 

図1   昭和35年頃に撮影。左側が中野歯科医院と中野電気商会。中野仁史氏提供

 

図2   練塀町の地図(昭和29年)。赤い矢印は,写真を撮った方向。青い点線で囲んだ部分は,現在再開発されている地区。

 

図3  2012年頃撮影,左側は中野ビル。中野仁史氏提供

 

図4  2018年8月3日撮影 左側は再開発地区,右側はオーディオ茂木。

 

写真提供および談話:中野仁史氏

 

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練塀町の路地1

図1の写真で足漕ぎ車を押している子どもは,中野仁史さん(当時三歳)です。着ているものは,佐久間幼稚園(現在のいずみこども園)のスモックです。写真奥には,秋葉原貨物駅(の屋根)とその手前にあった倉庫が見えます。撮影の方向は図2の地図に示す通りです。

 

図1  練塀町の路地(昭和35年撮影)。向かって右側は中野歯科医院,左側は西村家の大和塀。中野仁史氏提供

 

図2  練塀町の地図(昭和29年)。赤い矢印は,撮影の方向を示す。青く囲った線は,現在の富士ソフトアキバプラザを示す。

 

秋葉原貨物駅は,平成2年の神田青果市場の大田区移転に伴い廃止されました。その後,秋葉原貨物駅の地下は新幹線が通る第一上野トンネルになりました。また,貨物線の線路や倉庫が撤去された跡地には,富士ソフトアキバプラザなどが建てられました(図2)。

図1と同じ角度で撮影した写真が図3です。奥に富士ソフトアキバプラザが見えます。手前に見えるオレンジ・白・緑のひさしは, インドカレー屋のジャイヒンド (JAI HIND)です。本格的なカレーを提供する人気店でしたが,2016年1月に閉店し, 2016年3月29日から神田須田町で「アロマズ オブ インディア」として営業しています。

http://blog.livedoor.jp/ma888tsu/archives/52008683.html

 

図3  練塀町の路地(平成25年頃に撮影),中野仁史氏提供

 

写真を提供して頂いた中野仁史氏に感謝を申し上げます。

 

 

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中野歯科医院北側

昭和20年代後半に中野歯科医院を新築するとき,中野末作は北側に新たに土地を購入しました。北側の土地に新築した建物は,一階の渡り廊下で南側の中野歯科医院とつながっていました。北側部分の建物のさらに南半分は,1階を中野進(中野末作の三男)が営む中野電気商会(電気工事業)が使用し,2階には中野進の一家が住んでいました。 一方,北半分は貸事務所になっていました。

北側にあった貸事務所の写真が残っています(図1) 。1階には,株式会社ナショナル寫真商會が入っていました。撮影の方向を図2に示します。株式会社ナショナル寫真商會は,白バイのハンドル部分に取り付けたカメラ(白バイのアクションカムの先駆けのようなカメラ)の修理をする会社でした。そのカメラは故障が多く,頻繁に白バイが止まっていたと聞きます。また,カメラ自体の性能も低かったため,数年で会社はなくなったようです。

 

図1  中野歯科医院の北側部分。写真を撮影した年は不明。写真の左端には,昭和33年に初代が発売されたホンダ・スーパーカブC100が写っている。一方,右端のスクーターは昭和35年に発売された新三菱のシルバーピジョンの125ccと思われるが,確実ではない。

 

図2   練塀町の地図(昭和29年)。赤い矢印は,写真を撮った方向。青い点線で囲った部分は,現在再開発中の地区。北の方角は,左方向。

 

その後,中野歯科医院が建っていた南側の土地は売却され,新しく建ったビルには居酒屋大八が入りました。一方,株式会社ナショナル寫真商會が入っていた北側の建物は,昭和51年に中野ビルになりました(図3)。中野ビルには,テナントとしてスポーツ用品を取り扱うハシスポーツ,ベアリング卸の黒田精機などが入っていました。また,中野ビルの管理をしていた中野くらの和室がありましたが,中野くらが亡くなった後は,オーディオ茂木の倉庫になりました。オーディオ茂木は,今も神田松永町で営業しており,店舗全体がショールームのようで実際に音を聞くことができます。

移転OPEN「オーディオもてぎ」さんを訪問

 

図3  中野ビル(平成24年撮影)。施工は,地元の甲斐工務店(神田練塀町57)。

 

中野歯科医院北側部分を同じアングルで撮影した現在の写真を図4に示します。

 

図3  再開発ビル北側部分(平成30年8月撮影)。施工は,前田建設。

 

 

写真と中野歯科医院に関する話題を提供して頂いた中野仁史氏(中野末作の孫)に感謝を申し上げます。

中野仁史氏の紹介:著述業。昭和36年2月13日,神田練塀町51で生まれる。昭和42年に九段南4丁目に転居するまで佐久間幼稚園(現在のいずみこども園)に通う。現在は文京区白山に居住するが,父の中野進(昭和3年~平成28年)から中野ビルを受け継いだことから,神田練塀町地区市街地再開発組合の幹事を務めている。

 

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