秋葉原貨物駅の1階部分

図1の写真は,秋葉原貨物駅の1階部分の写真です。もう少し中に入って撮った写真が図2です。図2の写真で秋葉原貨物駅の奥に見える建物に,東京青果株式会社の看板が下がっているので,図3に示す方向から撮影した写真であることがわかります。

図1,図2は,重ね焼き写真ですが,どちらにもサンキスト(Sunkist)という文字が見えます。サンキストブランドの米国産レモン(サンキストレモン)が日本で本格的に販売されるようになったのは,神田青果市場ができた翌年(昭和4年)です。日本人の食生活が変化して,洋食に必要な柑橘類が好まれるようになったことと関係があります。昭和4年のサンキストレモンの輸入量は,1万カートン(1カートンは,16 kgの木箱入り)でした。それが,神田青果市場が移転した2年後の平成4年には,400万カートン(1カートンは,17 kgのダンボール箱入り)まで増えました。

 

図1  昭和60年代に撮影。倉田精二  AKB 80’sより転載

 

図2  昭和60年代に撮影。倉田精二  AKB 80’sより転載

 

図3  練塀町の地図(昭和29年)。青い矢印は,写真を撮った方向を示す。青い破線で囲んだ部分が東京青果。

 

東京青果は平成元年5月に大田市場に移転しました。東京青果株式会社があった場所は,現在大東ビルになっている辺りと推測されますが,昔のものは何も残っていません(図4)。

 

図4  東京青果株式会社があった辺りの現在の様子(平成30年8月撮影)。

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秋葉原貨物駅

昔秋葉原にやっちゃば(野菜市場:神田青果市場)があったとき,京浜東北線沿いの高架上に秋葉原貨物駅がありました。次の写真は1991年に撮影されたものです。1990年に神田青果市場は大田区に移転していましたが,まだ秋葉原貨物駅(赤枠で囲んだ部分)は残っていました。秋葉原貨物駅に沿いの建物は,主に運送会社の倉庫として使われていました。青線で囲んだ部分は,神田花岡町にあった日本通運の倉庫で,現在はヨドバAkibaになっています。


秋葉原付近の航空写真(1991年7月撮影)
赤枠で囲った部分:秋葉原貨物駅
青枠で囲んだ部分:日本通運秋葉原営業所とその倉庫

次の写真も秋葉原貨物駅付近の写真ですが,赤色で囲んだ部分は高架が完全に撤去されて,現在は富士ソフトアキバプラザや秋葉原練塀公園になっています。その上の青枠で囲まれた部分は,撤去されずに地下部分が上野第一トンネルとして再利用されました。


神田練塀町付近の航空写真(1991年7月撮影)
赤枠で囲った部分:撤去された部分
青枠で囲んだ部分:秋葉原第一トンネルになった部分

次の写真で線路に沿った細長い部分が秋葉原練塀公園です。現在の住所表記は台東区秋葉原ですが,以前は下谷区練塀町だったため秋葉原練塀公園という名前がついています。春になると桜が咲き,住民の憩いの場所になっています。


秋葉原練塀公園(2018年3月撮影)

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