町常会記録を読んで

 

図1と図2は,昭和20年1月26日に開かれた町常会の記録です。
手書きで分かりにくいですが,以下のようなことが書かれています。

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昭和20年1月26日町常会
日程及報告

報告 防務幹事推薦の件

議案(1) 罹災者生活必需物資供出買上に関する件
(2) 間引建物疎開に関する件
(3) 牛乳及乳製品配給証明書改正に関する件
(4) 組長と群長専任に関する件
(5) 居住者登録調査の件
(6) 警防費と銃後奉公会費に関する件
(7) 商業報国会出費に関する件
(8) 古紙と塵紙交換の件
(9) 倉庫空家等防火設備要請に関する件

十八隣組の内三組,十四組,十六組 欠席
二組,七組,十二組,十三組 以上代人
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図1 町常会記録,昭和20年1月26日1ページ目,中野仁史氏提供

 

図2 町常会記録,昭和20年1月26日2ページ目,中野仁史氏提供

 

活動の内容が今の町会と全く違います。今の町会は,神田祭,納涼大会,区民体育大会,その他地域のイベント,夜警,歳末助け合い運動,交通安全週間運動,防災訓練など町内の親睦,互助,連絡などの活動が中心になっています。一方,戦時中の町会は,今なら区役所(や区役所の出張所)がやっているような行政の一端を担っていたことがわかります。たとえば,(5)居住者登録調査の件ですが,住民台帳の管理が町会で行われていたことを示しています。戦時中は,配給制度が実施され,異動申告書の受付と台帳整備,米穀通帳などの異動処理は,町会の仕事でした。

図3は衣料切符(衣料を配給するために政府が発行した点数制の切符)ですが,秋葉原町会長の印が押されています。町会は,国民経済生活の地域的統制単位として,統制経済の運用と国民生活の安定に力を尽くしておりました。

 

図3 戦時中の衣料切符,中野仁史氏提供

 

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戦時中の神田練塀町町会

 

図1は,戦時中に秋葉原町会の町会長を務めた中野末作が遺した町常会記録です。表紙を見ると,いろいろな疑問が浮かびます。

 

秋葉原町会って?

現在の秋葉原町会は,台東区秋葉原にあります。もともと台東区秋葉原は,練塀町と松永町の一部でした。戦時中の地名は,それぞれ下谷区練塀町,下谷区松永町であり,一緒に練松町会をつくっていました。一方,戦時中の神田区練塀町と神田区松永町は,一緒に秋葉原町会をつくっていました。

 

常会って?

昭和15年9月の内務省訓令第17号「部落会町内会等整備要領」によって,町内会は正式に市町村の下部組織として制度化されました。この要領によって,町会は「常会」という集会を開き,その模様(伝達,報告,協議,申合,その他隣組に関する一切のこと)を詳細に記録することが求められました。

 

 

秋葉原町会の町常会記録には,次のような方々のお名前が記されています(順不同,敬称略)。この人たちは,秋葉原町会の町会役員であった方々です。ご存命であれば,確実に100歳を越えています。

鰐淵万次郎

中野末作

石原重一

深田栄次郎

内田賢治

中島仲右衛門

関口昇之

中山政吉

小西初太郎

小澤徳一

岡山繁蔵

後藤信繁

赤池高政

高菱幹夫

竹中勇次郎

丸山隆司

田崎たか

 

図1  戦時中の秋葉原町会の町常会記録

 

貴重な資料を提供して頂きました中野仁史氏に感謝いたします。

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秋葉原駅と運河

この秋葉原駅の写真(図1)は,撮影された年代が伝わっていませんが,女学生が袴を着用していること,背広を着た男性がカンカン帽を被っていることから,おそらく大正時代と思われます。中央の鉄柵は改札で,駅員さんが見えます。この頃,自動改札機はなく,駅員さんが切符にハサミを入れていました。カメラは,秋葉原駅昭和通り口の内側から外側に向いています(図2)。一方,図3の写真は,現在の秋葉原駅昭和通り口の様子です。

 

図1 秋葉原駅昭和通り口(大正年間に撮影?)

 

図2 運河と船着き場が載っている秋葉原駅付近の地図(昭和22年)。青矢印は,図1の写真を撮った方向。青線で囲んだ部分は,現在ヨドバシAkibaになっている。ヨドバシAkiba南半分と秋葉原駅中央口のロータリーは,昔船着き場だった。また,赤矢印は,図4の写真を撮った方向。赤線で囲んだ部分は,現在秋葉原公園になっている。

 

図3 現在の秋葉原駅昭和通り口(平成30年7月撮影)改札口を出て左に進むとヨドバシAkiba,右に進むと秋葉原公園。

 

図1の正面奥に切符売り場が見えますが,その背後に運河が通っていました。運河は明治時代からありました。

http://2.bp.blogspot.com/-X2zQyHHu5_Y/T0C96au8vNI/AAAAAAAAAhU/ZKuE_GWc47o/s640/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88+2012-02-19+18.12.00.jpg

運河の存在は,図2の地図でも確認できます。神田川から運河に入った舟は,船着き場で野菜を降ろし,そこから野菜は(通称)“やっちゃば”(神田青果市場)へと運ばれました。やがて物流の中心が船から鉄道とトラックに変わったため,運河と船着き場は昭和20年代に埋め立てられました。

運河と船着き場が埋め立てられた後,運河の入り口は佐久間橋児童遊園,運河は秋葉原公園になりました。運河にかかっていた佐久間橋は道路になり,道路の下には佐久間橋児童遊園と秋葉原公園をつなぐトンネルができました。トンネルをくぐって二つの公園を移動でき,練塀町の子どもたちの遊び場になっていたそうです。

その子どもたちが大きくなる頃,トンネルは埋められました。その後の秋葉原公園(旧秋葉原公園)も,運河だった名残で地面が一段下がっていました。

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/95/89befe9cdf101b1da57579102d77e1e5.jpg

秋葉原公園は,2014年に大規模に改修され現在のようになりました(図4)。

 

図4  秋葉原公園 (平成30年8月撮影)。 正面にある街路樹の奥が千代田区役所和泉橋出張所。千代田区役所和泉橋出張所は,平成27年に佐久間橋児童遊園の敷地に移転した。

 

 

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