中野歯科医院北側

昭和20年代後半に中野歯科医院を新築するとき,中野末作は北側に新たに土地を購入しました。北側の土地に新築した建物は,一階の渡り廊下で南側の中野歯科医院とつながっていました。北側部分の建物のさらに南半分は,1階を中野進(中野末作の三男)が営む中野電気商会(電気工事業)が使用し,2階には中野進の一家が住んでいました。 一方,北半分は貸事務所になっていました。

北側にあった貸事務所の写真が残っています(図1) 。1階には,株式会社ナショナル寫真商會が入っていました。撮影の方向を図2に示します。株式会社ナショナル寫真商會は,白バイのハンドル部分に取り付けたカメラ(白バイのアクションカムの先駆けのようなカメラ)の修理をする会社でした。そのカメラは故障が多く,頻繁に白バイが止まっていたと聞きます。また,カメラ自体の性能も低かったため,数年で会社はなくなったようです。

 

図1  中野歯科医院の北側部分。写真を撮影した年は不明。写真の左端には,昭和33年に初代が発売されたホンダ・スーパーカブC100が写っている。一方,右端のスクーターは昭和35年に発売された新三菱のシルバーピジョンの125ccと思われるが,確実ではない。

 

図2   練塀町の地図(昭和29年)。赤い矢印は,写真を撮った方向。青い点線で囲った部分は,現在再開発中の地区。北の方角は,左方向。

 

その後,中野歯科医院が建っていた南側の土地は売却され,新しく建ったビルには居酒屋大八が入りました。一方,株式会社ナショナル寫真商會が入っていた北側の建物は,昭和51年に中野ビルになりました(図3)。中野ビルには,テナントとしてスポーツ用品を取り扱うハシスポーツ,ベアリング卸の黒田精機などが入っていました。また,中野ビルの管理をしていた中野くらの和室がありましたが,中野くらが亡くなった後は,オーディオ茂木の倉庫になりました。オーディオ茂木は,今も神田松永町で営業しており,店舗全体がショールームのようで実際に音を聞くことができます。

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図3  中野ビル(平成24年撮影)。施工は,地元の甲斐工務店(神田練塀町57)。

 

中野歯科医院北側部分を同じアングルで撮影した現在の写真を図4に示します。

 

図3  再開発ビル北側部分(平成30年8月撮影)。施工は,前田建設。

 

 

写真と中野歯科医院に関する話題を提供して頂いた中野仁史氏(中野末作の孫)に感謝を申し上げます。

中野仁史氏の紹介:著述業。昭和36年2月13日,神田練塀町51で生まれる。昭和42年に九段南4丁目に転居するまで佐久間幼稚園(現在のいずみこども園)に通う。現在は文京区白山に居住するが,父の中野進(昭和3年~平成28年)から中野ビルを受け継いだことから,神田練塀町地区市街地再開発組合の幹事を務めている。

 

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