樋口一葉

 

樋口一葉(1872−1896)は,五千円札の肖像で皆さまご存知だと思います。明治時代の小説家で「たけくらべ」「にごりえ」などの傑作を生みだし,24歳の若さで肺結核により亡くなりました。

樋口一葉といえば,「たけくらべ」「にごりえ」の舞台となった下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉)や,多くの傑作を執筆し終焉の地でもある丸山福山町(現在の文京区西片)が思い出されます。しかし,1歳から3歳までは,下谷区練塀町四十三番地(現在の神田練塀町)に住んでいました。樋口一葉の作品に練塀町の名前が出てくることはありませんが,秋葉原付近(万世橋)は小説に出てきます。

「萬世橋に来し頃には鉄道馬車の喇叭の声はやく絶えて京屋が時計の十時を報ずる響空に高し・・・」(別れ霜)

鉄道馬車が出てくるので,甲武鉄道(現在の中央線)に蒸気機関車が走る前,レールの上に乗った客車を馬が引いていた頃の話であることが分かります。

 

図1に下谷区練塀町四十三番地を示します。樋口一葉の家がどこにあったのか,正確な場所は分かりません。再開発地域からその隣の大東ビル辺りと思われますが,残念ながら当時の様子を偲ぶよすがとなるものはありません。図2に現在の様子を示します。

 

図1  東京五千分の壱実測図,明治20年(千代田区立日比谷図書館文化館特別研究室所蔵)。赤い実線で囲んだ部分が下谷区練塀町四十三番地。

 

図2     現在の再開発地区(2017年11月撮影)。右側の茶色のビルが大東ビル。

 

 

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桐淵眼科

タイトル:桐淵眼科

昔,練塀町(現在は神田練塀町85番地)に桐淵眼科という病院がありました。

桐淵眼科の写真(明治時代)

練塀町の地図(昭和10年)
注1)桐淵眼科の場所を赤線で囲んだ。
注2)青字で書いたものは,平成30年1月現在にあるもの。

東京名所図会(明治41年,第382号)には,次のように書かれています。
「桐淵眼科医院は,下谷練塀町35番地,同院病室は59番地にあり。従来有名にして眼科専門の病院なり。院長は医学博士桐淵鏡次氏。入院料は,特等一日金三円,一等一円六十銭,二等一円,三等八十五銭とす。電話の番号は,病院の分下谷六十六,病室の分同一八七一なり。」

桐淵鏡次(明治3年~昭和6年)は,沼津出身で,桐淵光斉の養子になりました。明治27年に東京帝国大学を卒業し,明治30年にドイツに留学,帰国後は下谷練塀町の桐淵眼科病院を継ぎました。桐淵眼科は,戦災で焼失して再建されませんでした。

http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kirihuchi_k.html

桐淵鏡次の息子光一は医者にならなかったようですが,医者になった子孫や親族がいて,今も桐淵眼科は岡崎や元住吉で続いています。

http://www.tkiribuchi.uh-oh.jp/kiribuchikakeizu.html

桐淵眼科があった場所は,戦後に農林省の輸出水産物検査所と輸出食料品検査所になり,現在はJEBL秋葉原スクエアになっています。

秋葉原スクエア(平成30年1月撮影)