練塀小路

江戸時代の頃,練塀町は周囲をにぎやかな町屋(商人と職人の町)に囲まれ,立派な練塀がある落ち着いた武家の屋敷地でした。武家地には町名がないのが普通なので,江戸時代(1850年頃)の地図(図1)を見ると,町名は書かれておらず,通りの名前には「子リベイコウ●(ねりべいこうじ)」という通称が使われています。

図1     江戸切絵図集成 vol.3,中央公論社,p97より抜粋。子リベイコウ● (●はチに〃)の部分は,赤枠で囲んである。現在の秋葉原駅は,麹町平河町一丁目代地の辺りで,青枠で囲んである。

練塀町が正式な町名になったのは,明治5年(1872年)のことです。成立当時の戸数は75,人口は375人でした(東京府史料)。明治11年(1878年),町はいったん下谷区(現在の台東区)に編入されます。その後,昭和18年(1943年)に,南半分が神田区(現在の千代田区)に編入され,昭和22年(1947年),千代田区ができたときに神田練塀町になりました。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です